しゃぼん玉か。会場の演出としては、アリだと思う。「入り口の両サイドに小さな装置を置いて、静かにフワフワっとしゃぼん玉が漂う中で来賓をお出迎えするのもいいですね!」 それならば、邪魔にはならないかわいらしい演出だと思う。 私の頭の中で、すんなりとイメージが湧いてきた瞬間だった。「えぇ? 入り口付近だけ? どうせならもっと派手にいこうよ」 「派手、に?」 「うん。披露宴中に上からもドバーっと、すごい量のしゃぼん玉を落とそうよ! 来賓客が驚いて、うわぁ~って声を出しながらみんな見あげるんだ」「え……」 「サプラーイズ! って感じになるでしょ。想像すると、ワクワクするね!」 あの……私はワクワクが吹っ飛んで、頭痛がしてきましたが。「そんなことできませんよ!」 「どうして?」 「来賓の方にしゃぼん玉が大量にかかって大変なことになります! それに、テーブルの上のお料理もお飲み物もすべて台無しですよ!」 「あー、そっか、なるほど」 いい案だと思ったのに、と宮田さんは肩を落としながら口を尖らせる。 来賓客の中でも特に女性は高級な着物やドレスを身に纏っている人が多数いる。 そんな人たちのお召し物に、シミがついてしまう可能性のある大量しゃぼん玉の演出なんてできるわけがない。 髪だってそうだ。 朝から美容院できちんと綺麗にセットしてもらった髪が、しゃぼん玉の泡でぐちゃぐちゃになるかもしれない。 若い人たちは比較的サプライズを喜んでくれても、中高年の人たちからはクレームになりかねないだろう。 はぁ……この人の閃きは非凡すぎるから。 凡人である私にはついていけないだけなのかな。 というより、まずは常識的なところに気を配ってもらいたいものだ。「あ、そしたらさ!」 目の前の宮田さんが、またなにか思いついたというような顔をする。 目がキラキラしている。 なにを言い出すのかと思うと、聞く私のほうが一瞬ひるんだ。「花火はどう?」 「は、花火?!」「うん。お色直しのあと、高砂に新郎新婦が座った途端に、両サイドから、シャー!って下から吹き上げる派手な花火。そういうのもサプラーイズ!って感じで、みんなびっくりするだろうね!」 そ、そんなにサプライズがお好きですか。 ドッキリを仕掛けるのが目的じゃないんですけど!「もちろん
「朝日奈さんさぁ、晩御飯まだだよね? たしか、仕事の帰りだって言ってたもんね」 「……はい」 「じゃあ、今からなにか買ってくるよ」 「え?!」 ……なんですか、その唐突な言動は。 今、仕事の話をしていましたよね? この人の頭の中のスイッチングが、本当にわからない。「けっこうです。お話が済めば失礼しますので」 「この近くにさ、遅くまでやってるテイクアウトのお店があるんだ」 すぐ買ってくるから、と笑みを向ける宮田さんに、人の話を聞いていますか?と突っ込みたくなる。「朝日奈さんはきっとお腹がすいてるんだよ。人って、お腹がすくと無意識に不機嫌になるからね」 一方的にそう言葉が放たれ、パタンと部屋のドアが閉まる。 急にシンと静まりかえる部屋。 突然ひとりでこの部屋に残されてしまった。 だいたい、去り際に言ったさっきのセリフはなんなのよ。 このイライラの原因は、空腹からきているとでも? 仕事終わりに呼びつけられ、おかしな発案ばかり聞かされればイライラしてくるに決まってる。 それを私が空腹だからだと思いこむあたり、ポジティブというかズレてるというか。 誰もいないのをいいことに、私はソファーの背もたれにダランと頭を乗せて、ぼんやりと天井を見上げた。 そのまま数分が経ち、宮田さんは仕事の相手なのだから、イライラさせられたとしても顔や態度に出しちゃダメだと少しばかり反省モードになる。 本当はあの人が、デザイナー・最上梨子なのだから。 やはり今日はエネルギーが足りていないのがいけない。 エネルギー不足だと、あの気まぐれイタズラわがままっ子には太刀打ちできない気がする。 なにを買いに行ってくれたのかわからないけれど、宮田さんが戻ってきたら、適当に理由をつけて今日はもう帰ろう。 こういうときは、仕事の話も仕切りなおすのが一番だ。 宮田さんが戻るのを待っていたはずなのに…… 私の身体はまるで充電が切れたかのようにソファーに沈んで、挙句まどろんでしまっていた。 ふと気づいた次の瞬間には、身体の上にブランケットが掛けられていて。 それに驚いて、咄嗟に飛び起きるように上半身を起こす。「す、すみません! 私、寝ちゃってました」 部屋の奥にある仕事用のデスクに座る宮田さんを視界に捉え、あわてて頭を下げる。
「あ、起きた?」 少しまどろむ、なんてかわいいものじゃない。 どうやら私はソファーで一時間以上ぐっすりと眠ってしまっていたようだ。「疲れてたんだね」 宮田さんがデスクから離れ、こちらへと歩み寄ってくる。 その顔はおだやかで、不機嫌な様子はない。「買ってきたものが冷めちゃったな」 「本当に申し訳ありません」 宮田さんにしてみれば、食事を買いに行って戻ってきたら私は寝ているのだからあきれただろう。 あぁ、もう……穴があったら入りたい、とはこのことだ。 恥ずかしさと申し訳なさで、真っ直ぐ宮田さんのほうを見ることすらできずにうつむく。「それにしても寝ちゃうとは。いい度胸してるよね」 「っ………」 機嫌を損ねなかったのは不幸中の幸い……などと勝手に思っていたけれど。 口調とはうらはらに、実は密かに怒っているのかもしれないと疑念を抱く。 宮田さんが怒ったところなんて、今まで見たことがないけれど。 こういうタイプは怒ったら怖い……とか?「それとも、僕を誘ってるってことだったのかな?」 隣に座った宮田さんを盗み見るといつもの笑顔を浮かべていたので、なぜかそれが私をホッとさせた。 ……怒ってはいないようだ。「ち、違います!」 「はは」 誘っているとか、100%冗談だとしても恐ろしいことを言わないでもらいたい。 冷静に考えてみたら、いつもこの部屋で私たちはふたりきりなのだから。「人生で最高に大切な思い出を、一緒に造ってあげたいのはわかるけどさ。ハードに仕事をしすぎたら身体を壊すよ?」 「……え?」 「雑誌で言ってたでしょ? この仕事を始めたきっかけ」 もうそろそろ失礼します、と頭を下げて帰ろうかと思っていた矢先だった。 宮田さんが不意にそんなことを言ったのは。 それって、例の…… 私が袴田部長に騙されて載ってしまった雑誌の話だ。『新郎新婦のおふたりにとって、人生で最高に幸せで大切な思い出を私も一緒に造ることができたらと思ったからです』 あの質問と答えの部分だけ活字がほかより大きかったけれど、そこまでよく覚えてるなと感心してしまう。「あれは……実際にそう思ってる部分はありますけど、ほかにももっとあるんです」 「?……なにが?」 「この仕事を始めようと思った、不純な動機です」 私が苦笑いでそう言う
「今から言うことは誰にも言わないでもらえます?」 「わかった」 「絶対に秘密ですよ?」 「もちろん」 本当は私がただ恥ずかしいだけで、別に今さらほかの誰かに知られたとしてもどうってことのない内容なのだけれど。 だけど大げさに“秘密”だと冗談を言う私に、宮田さんがうなずきながらイタズラっぽく微笑む。「これで僕たち、お互いの秘密を共有しあう仲になるんだね」 一応そうなりますかね。あなたのほうは本当に誰にも言えない秘密ですけど。 何故か意味深に言う宮田さんがおかしくて、思わずクスっと笑いがこみ上げた。「私が高校三年生のときの話なんですけどね。たまたま通りかかったチャペルで、モデルさんが撮影してたんですよ」 「撮影?」 「はい。今思えば、ウエディング専門誌とか、そういうのだと思うんですけど。真っ白なウエディングドレスを着た綺麗な女の人と、かっこいいタキシードを着た綺麗な男の人がいました。周りには機材がたくさんあって、カメラマンやスタッフもいて、すぐに撮影だってわかったから、私はヤジウマで遠くからそれを見ていたんです」 見ていた……というより、見入っていたんだ。 その場から離れられなくて、釘付けになった。「男性のモデルさんがすっごく素敵で、イケメンで、かっこいいなぁーって思っちゃって。でも、あとでどの雑誌を探しても、そのモデルさんを見かけることはありませんでした。だけどもしかしたら……私もこの業界に就職すれば、また会えるかもしれないって内心そう思ったのは事実です」 動機、不純でしょ? と笑ってそう言えば、宮田さんが苦笑いを浮かべる。 本当に不純な動機だ。 そのモデルの彼に近づけるのなら、職種は何でも良かったのか?と、当時の自分に突っ込みたいくらい。 だけど実際にブライダル業界に就職してみたら、仕事は思っていた以上に楽しい。 今は当初の動機を忘れちゃうくらい。「そのモデルの名前は?」 「さぁ? わかりません。年齢は若かったと思いますけど、もちろん私よりも年上でしょうね」 「もしかして、まったくなにも知らないの?」 驚きの声をあげる宮田さんに、私はゆっくりとうなずく。「あの時たまたまモデルをやっただけで、元々モデルとしての活動をしていなかったのかもしれませんし、今となっては探す手段もありません」 「そっか」 「とい
ただ一方的に憧れているだけだもの。 私のことを知ってもらおうとか、そんな気持ちは一切ないから。 あの時はただ、彼を見て純粋に胸がキュンとした。 整った顔がまるで王子様みたいで、その笑顔に胸が高鳴った。 あれから八年経つ。……今の彼はもっと大人になっているんだろうな。 今もきっと、イケメンぶりは健在なのだろう。「袴田さんもこのことは知らないの?」 「……うちの部長ですか?」 唐突に出された名前に、首を傾けながら不思議そうに宮田さんを見る。「はい。言ってませんけど?」 「それを聞いたら、袴田さんは妬いちゃうよね」 「……は?」 今度は思わず眉をしかめた。この人はなにを言ってるんだろう。「部長が……妬く? 私にですか?」 「うん。あれ? そういう関係じゃないの?」 「違いますよ! 部長は若く見えますけど四十歳です。私といくつ歳が離れてると思ってるんですか。そんな関係にはなりえません」 私がそう言うと、宮田さんはワハハと声に出して急に笑い出す。 勘違いが解けるといいのだけれど。「バカだね、朝日奈さんは。年齢なんて関係ないじゃん。それくらい歳の離れたカップルや夫婦、いくらでもいるよ」 そう言われてみると、そうだ。 その人のことを好きかどうかであって、年齢は関係ない。 私と部長は十四歳差だけれど、世の中にはそれくらいの歳の差カップルもたくさん存在する。 自分の言ったことが、今更恥ずかしくなってきた。「それにしても袴田さんは四十歳なんだ。ほんと、実年齢よりずいぶん若く見えるね。髪型や体つきもオジサンくさくないし、シャツとかネクタイとか、選んでるもののセンスがいいからかな」 部長とは一度会っただけのはずなのに、そこまで見ていたのかと感心してしまったけれど。 そういえば以前、部長が言っていた。 人や部屋や空間……そういうところを見てしまうのがクセなのだと。 宮田さんも、きっとそうなのだろう。「部長は元々インテリアデザイナーを目指してたんですよ」 「……デザイナーね。なるほど、どうりで。まさか僕と同じ畑だったとは」 なにかをデザインして、それを形にしていく…… そう。ふたりはおおまかには同じ畑の人間なのだ。「ま、とにかく。袴田さんと付き合ってないんだったら、ライバルはその、八年前のモデルくんかな
「もし、そのモデルくんに会うことができたら告白しちゃう?」 「なにを言ってるんですか。もう会えませんよ。八年間、全く紙面で見かけませんし」 「万が一だよ。万が一、もう一度会えたら、好きですって言うつもり?」 サラっと返事を返す私とは正反対に、隣を見るとなぜか宮田さんは不機嫌そうな面持ちになっていた。 八年ぶりにまた会えたからって、告白? 本当になにを言うんだ、この人は。 向こうにとってみれば八年ぶりも何もなく、いきなり知らない女が告白してきたことになるのに。 八年前からファンでした、くらいのことは勇気を出せば言えるかもしれないけれど。 本気の告白なんて、できるわけがない。ま、するつもりもないけど。 憧れの人をまたこの目で見てみたいだけだ。 でも、こういうのももしかしたら片想いのうちに入るのかな? 憧れだから、違うのかな?……それすら私はよくわかっていない。「どうしたんですか? 顔が怖いですよ」 「だって気になるし、妬けるよ」 漆黒の瞳が、私を捕らえてじっと射貫く。 なんだか距離が近いのでは? と思ったときにはすでに、額にそっとキスをされていた。「なっ、なにしてるんですか」 「あ、本当だ」 まるで今のは、自分ではない別人がしたことみたいに、宮田さんはあっけらかんとした表情で笑っていた。 冗談では済まされない行為でしょ、これは。「なんか今ね、チュってしたくなったんだ。なんでだろうね」 なんでだろうね、って言われても、こっちが聞きたい。「……あ、そうか」 彼は自問自答しつつ、なにか自分なりにその答えを見つけたようだ。「僕は朝日奈さんが好きなのか……」 なんだ、そういうことか。 などと、納得したような顔をする宮田さんを前に、私は驚愕して言葉が出ない。 ただ宮田さんを見つめて、パチパチとまばたきを繰り返してしまう。 私は今、告白されたのだろうか。 宮田さんから? ま、まさか。 だって宮田さんにとって私は、ただの仕事相手で。 ほかの女性と変わらない、からかって遊ぶだけの、なんてことはない存在のはずなのに……「冗談……ですよね?」 だけど。宮田さんの唇が触れた額が、そこだけ熱を持って熱い。 どうしちゃったんだ、私…… というか、唐突になんてことをしてくれるんだ!「本気だけど?」
「緋雪! 今週の日曜日、空いてる?」 お昼休みに休憩スペースでコンビニの鮭おにぎりを頬張っていたら、麗子さんから声をかけられた。「今週、なにかあるんですか?」 「うん。友達と行こうとしてたライブがあるんだけど。その友達、行けなくなっちゃってね。チケットがもったいないから一緒に行こうよ!」 テンションの高い麗子さんを前に、眉尻を下げてペコリと頭を下げる。「すみません、今週はちょっと用事があるんですよ。本当は麗子さんとライブに行きたいんですけど……」 麗子さんと出かけるほうがどんなに良いか。 どんなに楽しくて、気が楽なことか。 聞けば、それは今人気のバンドのライブだった。 ストレス解消にはちょうどいいのだけど。「なんだぁ、緋雪もダメかぁ」 「ごめんなさい」 シュンと肩を落として謝ると、麗子さんがクイっと口の端を上げて意味ありげに微笑んだ。「何……緋雪、彼氏でもできたの?」 「いやいやいや、そんなわけないじゃないですか!」 手をブンブンと横に振りながら、あわてて真っ向否定すると、麗子さんはケラケラと綺麗な顔で笑う。 否定する自分が悲しいけれど。「また、誘ってください」 「うん、また今度。その代わり、男が出来たら絶対言いなさいよ?」 せっかく先輩が誘ってくれたのに、それを無下に断る後輩でごめんなさい。 それもこれも全部、気まぐれイタズラわがままっ子のせいなんです! ――― 時は、昨日の夜にさかのぼる。 私が仕事から帰ってきて、家でホッと一息ついたのもつかの間。 スマホに、宮田さんから着信があった。 どうしたのかと、自然と眉間にシワを刻みながらも静かに通話ボタンを押す。「もしもし」 『あ、もしもし。朝日奈さん?』 一週間ぶりに聞く、彼の声。 そう、あの日…… 告白だのキスだのと、幻聴とか幻影に一気に襲われたあの日から、会ってもいないし電話もしていなかった。 デザインの進捗は気になっていたし、それは仕事として確認しなくてはいけなかったけれど。 あれがまったくの幻だったとは、やっぱり思えない。 どう考えてもあれは夢や幻じゃなくて現実だった。 それをただ認めたくなくて、私は幻だったと思いたいだけなのだ。 仕事をする上で、彼を無視するのもそろそろ限界だなと思っていた矢先。 おそるおそる電
「日曜日? なぜですか?」 『なぜって……デートだから』 「意味がわからないので、お断りします」 『あ、ちょっと待って!』 私がそのまま電話を切るとでも思ったのか、電話口で慌てるような声が聞こえてきた。 ……ちょっと、面白い。 相手に見えていないのをいいことに、私はスマホを耳に当てたまま、思わず笑みを浮かべる。 いつも驚かされたりあわてさせられたりしているのは私のほうなのだから、ちょっとはあの人もあわてたりすればいい。「なんでしょう?」 『デートっていうのは言い過ぎた』 でもやっぱり、こうやって意味不明だ。『実は、朝日奈さんにお願いがあってね』 「お願い?」 この人が私にお願いなんてすることがあるの?と、少し違和感を覚える。 だって、いつも有無を言わせず決定するような、わがままな性格だと思っていたから。 人の都合を気にかけるような、そんな普通の人間らしい部分も持ち合わせていたのか…。 どうやら少しは普通の人間であったようだけれど。 それが意外すぎて、今私が喋っているのは本当に本人かと疑いたくなってしまう。『僕の知り合いのデザイナーがパーティを開くんだ。事務所の十五周年記念パーティ。僕も招待されたんだけど、朝日奈さんに一緒に行ってほしいと思って』 「わ、私がですか?!」 な、なぜに私が。 だって私、関係なくないですか? 「いや……おひとりで行かれては?」 『招待券がね、二枚届いてるんだよ。なのに一人で行くのもどうかなって感じでしょ。それにこういうときは女性同伴でどうぞって意味じゃない? 男を誘って行ったりしたらがゲイじゃないかって邪推されちゃう』 とうとうと電話口で喋ったかと思うと、最後はそう言って笑い声を漏らす。 あなたがゲイに間違われようと知ったことではありません。 逆にあたふたしてるあなたを、見てみたいくらいですけども。 「別にもう……いいじゃないですか、ゲイデビューしても」 『バカなこと言わないでよ!!』 そういう業界にはゲイも多いらしいけれど。 彼はどうやら微塵も誤解されたくないらしい。「だったらほかの人を誘ってください。そちらの事務所のスタッフの方とか」 いつもデザイン事務所に赴くと、電話番を兼ねたような事務の女性もいるし。 たとえ事務所にいなくとも、ほかのスタ
「宮田さんにとって、私ってなんですか?」 「え?」 「どういうポジションにいます?」 泣いても喚いても、執拗に詮索しても。 あなたにとって私がなんでもない存在ならば…… 嫉妬したって、それは滑稽でしかない。「一度抱いただけの、仕事絡みの女ですか?」 「違う!!」 弱々しい私の言葉を、彼の大きな声が否定する。「僕は恋人だと思ってるし、緋雪以外の女性に興味はない」 信じないの? と彼が切なそうな表情をする。「こんなに緋雪のことが好きで、思いきり態度にも出してると思うんだけど。僕は自分で言うのもなんだけど一途だし。なのにそこを疑われるなんて……」 不貞腐れたように口を尖らせる彼に、そっと唇を寄せる。 そう言ってくれたことが嬉しくて、気がつくと衝動的に自分からふわりとキスをしていた。 唇を離すと、驚いた顔の彼と目が合う。「良かった。本当に枕営業しちゃったのかと思いました」 「……は?」 それは、パーティの席でハンナさんに言われたことだ。 なぜか今、それを思い出して口にしてしまった。 自分でもどうしてわざわざそれを持ち出したのかと思うとおかしくて、笑いがこみ上げてくる。「あのパーティの夜、宮田さんは……午前〇時を過ぎても魔法は解けないって言ってくれましたけど。朝になったら解けちゃったのかなと……なんとなく思っていたんです」 「どうして? 僕は解けない恋の魔法を緋雪にかけたつもりなんだけどな。あ、いや、ちょっと待って。それじゃやっぱり、僕は魔法使いってことになるじゃん!」 真剣な顔をしてそう抗議する彼に、噴き出して笑う。「不安だったのは、僕のほうだよ」 「……?」 「あの夜は気持ちが通じたと思ったし、心も身体も愛し合えたと思った。だけど、もしも無かったことにされたら……って考えたら、不安だった」 「……そんな」 「僕はやっぱり魔法使いで、王子は岳なのかも…って」 ――― 知らなかった。 宮田さんがこんなふうに思っていたなんて。 二階堂さんと私のことを、こんなにも気にしていたなんて。「宮田さんは王子様兼魔法使いなんですよ」 「……何その“兼”って、一人二役的な感じは」 「それとも私たちは、シンデレラとはストーリーが違うのかも。ていうか、一人二役でなにか問題あります?」 「……ないけど」 気まぐ
手を引かれ、十二階に位置する彼の居住空間へと初めて足を踏み入れる。「お、お邪魔します。お家、ずいぶん広いですね」 おずおずと上がりこんだ部屋には大きめのリビングとダイニングキッチンがあり、話を聞くとどうやら2LDKの間取りのようだ。 まるでモデルルームのように家具やカーテンの色や風合いがマッチしていてパーフェクトな空間だった。 この前麗子さんと話していて、宮田さんはどんなところに住んでいるんだろうと、気になってはいたけれど。 それがこんなに広くてスタイリッシュな空間だったとは思いもしなかった。「ここのマンションの住人には、ルームシェアしてる人もいるみたい。僕はもちろんひとりだけど」 なるほど。ルームシェアもこの広さなら出来ると思う。 なのに贅沢にこの部屋で一人暮らしだなんて……。「緋雪、気に入ったならここに越して来る?」 「え?! 私とルームシェアですか?」 「なにをバカなこと言ってんの! 僕たちが一緒に住む場合は、“同棲”になるだろ」 肩を揺らしてケラケラと笑う彼を見て、拍子抜けしたと同時に私の緊張もほぐれた。 私がはっきりと返事をしないまま、その提案が立ち消えになったことにもホッとする。「いつも事務所じゃコーヒーだけど、今日はビールがいい?」 ソファーに座る私に、彼はそう言ってキッチンからグラスと冷えた缶ビールを持ってきた。「ありがとうございます」 「パーティのとき思ったけど、緋雪はお酒飲めるよね?」 「あ、はい。それなりには」 コツンとお互いにグラスを合わせ、注がれたビールを口に含む。 ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み込む彼の喉仏が、やけに色っぽい。 隣に居ながらそれを見てしまうと、自動的に心拍数が上がった。「今日のことだけど。僕が、モデルの子と一緒にいた件……」 ふと会話が止まったところでその話題を口にされ、私から少し笑みが引っ込んだ。「あの子はハンナの後輩なんだけど、けっこう気の強い子でね。ハンナのこともライバル心からかすごく嫌っていて。僕は今日、巻き込まれたっていうか……あの子が、」 「もういいです」 「……え?」 「もう、それ以上聞かないでおきます」 ハンナさんへの当て付けなのか、本気なのかはわからないけれど、あの女性が宮田さんに迫ったんだろうとなんとなく直感した。「言わせて
*** 会社に戻る途中、ずっとモヤモヤした気持ちが抜けなかった。 なんだこれ。こんなんじゃ仕事にならない、とエレベーターの中でそんな自分に気づき、両頬をパンパンっと叩いて喝を入れる。 そうやって気合を入れたのに集中力は続かず、終わったときには時計は十九時半を回っていた。 そうだ、電話しなきゃ……。 ロッカールームで思い出し、宮田さんの番号を表示させて発信する。 今日のことを弁解させてほしいと言っていた彼の困惑した顔が脳裏に浮かんだ。 私だって…… あのモデルの女性と、あんなところでなにをしていたの?と、気にならなくはないけれど。 正直に聞くのが怖い。『もしもし』 数回目のコールで、落ち着いたトーンの彼の声が耳に届いた。「お疲れ様です。今、仕事が終わりました」 『お疲れ様。もう会社の前にいるから降りてきてよ』 「え……はい」 そのまま通話を切り、私はあわててロッカールームを後にした。 遅く感じるエレベーターに乗り込み、会社の外に飛び出すと、一台の車がハザードをつけて停まっていることに気づく。 助手席側のドアを背にして立つ宮田さんの姿があった。 ポケットに手を入れて佇む姿が、車を背景にしているせいか、とても様になっている。 そんなことよりも。たしかに会社に迎えに来るとは言っていたけれど……「い、いったいいつから居たんですか?!」 「はは。息が切れてるね」 それは、エレベーターを降りたあとダッシュで走って来たからです。「私のことはいいんです!」 「えーっと……着いたのは1時間くらい前、かな」 「そんな時間からここに居たんですか?!」 「うん。終わったら電話くれる約束だったし。 だからここで待ってた。とりあえず車に乗って?」 そう言って、彼が背にしていた助手席のドアを開ける。 ずいぶんと待たせたのに、不機嫌じゃないんだ……。 などと思いながら、私は促されるまま助手席に乗り込むとドアを閉められた。 宮田さんはハンドルを握り、喧騒が未だ落ち着きを取り戻さない夜の街を走り抜ける。「あの……どこ行くんですか?」 なぜか運転中無言になっている彼の横顔を見つめつつ、静かに問う。「あー、そう言えばそうだ。どこに行こうか」 「え……」 そっか。そうだった。 この人はこういう人だ。中身は変人と
最後はにっこりとした笑顔を作れた。 昔憧れていた二階堂さんに、こうして今の気持ちが言えて、それでもう十分だ。「なんか事態がよく飲み込めないんだけど……。今のって俺……軽く告白されたのに、結局フラれたって感じ」 ポカンとした顔で、二階堂さんがそんなことを言うものだから笑いそうになってしまう。「人の出逢いにはタイミングもあるんだよね。昴樹くんとは運命の出逢いだと思うから、大切にして?」 あの頃……八年前に見たのと同じ爽やかな笑顔がそこにあった。 大きな手を差し出され、握手を求められる。「本当はギュッとハグをしたいところだけど。昴樹くんに怒られるから」 じゃあね、と私の手を放して颯爽と立ち去る二階堂さんを、あの頃と同じようにやっぱりカッコいいと思いながら見送った。 残された私と宮田さんに、しばし沈黙が流れる。 この空気は、気まずさ以外の何物でもない。「あれで……良かったの?」 二階堂さんがいなくなった後、彼の口からボソリと言葉がこぼれ落ちた。「良いですよ。というか、私にあれ以上なにを言わせたいんですか」 これ以上こうして会話しても、喧嘩にしかならない気がして。 この場を立ち去ろうと歩き出した私の腕を、宮田さんがグッと掴んで自分の胸に引き寄せた。 私を抱きしめる彼の腕に力がこもる。「今日は緋雪に会えると思って楽しみだったのに……サイアク」 少し身体を離して私を見下ろす彼の瞳に、私が写る。 最悪なのはこちらも同じだ。 なにか言わなければ、と思った矢先、彼は私の唇を貪るように奪った。 しばらくキスを繰り返し、最後にチュっとリップ音を立てて彼が私からそっと離れる。「もう……行かなきゃ……」 そうだ。彼は今、仕事中だ。先ほどの場所に戻らなくてはいけない。「がんばってください。私も仕事に戻ります」 今の私からは、そんなそっけない言葉しか出てこない。 かわいくない女だと自分でも思う。「終わったら緋雪の会社まで迎えに行くよ」 「え?」 「今日、車で来てるから」 頬を撫でられ、見つめられるとなにも言えなくなってしまいそうだけれど……「でも、私も何時に終わるかわからないですし……」 「何時になっても待つから。今日のこと、いろいろ弁解させてよ」 じゃあ、終わったら電話をちょうだいなんてセリフを残し、愛しい人
「緋雪のスベスベな肌は、僕のものだから」 「へぇ……昴樹くんはもうすでに知ってるんだ? 肌がスベスベだとか、ふたりは互いに知る仲なんだね。パーティで会ったときはまだみたいだったのに」 「知ってる。緋雪は全身綺麗な肌なんだよ」 目の前で繰り広げられるふたりの会話が、なんだか生々しく聞こえて恥ずかしくなる。 私はうつむいて自分の顔が赤いのを誤魔化した。「僕の恋人にちょっかいを出すな。いくら岳でも、それだけは絶対許さないから」 宮田さんの言った“恋人”という言葉に、心が震えた。 彼はきちんとその認識でいてくれていたのだ。 私のことを、恋人だと ――――「昴樹くん、ごめん。朝日奈さんもごめんね。やり過ぎたかな?」 二階堂さんは両手を合わせながら、バツ悪そうにペコリと頭を下げる。「あれは……妬かせるためにわざとやったから。でもね、さっきのは昴樹くんも悪いよ? 恋人の朝日奈さんを放ってモデルの子とあんなとこでコソコソと」 「いや、あれは……」 「こんなに猛烈に妬くほど好きなんだったら、彼女のこと、泣かすようなことしちゃダメだろ」 ………二階堂さん。「心配しなくても、俺は明日アメリカに帰るから」 ふたりとも仲良くね、と告げつつ二階堂さんは私たちに背を向けて立ち去ろうとする。 そんな彼に、ちょっと待ってと宮田さんが声をかけて引きとめた。「緋雪……本当に言わなくていい? 岳に伝えたいなら今しかないよ?」 引き止められた二階堂さんは、なにを?といった表情で私たちを見つめていたけれど。 私には宮田さんがなにについて言っているのかすぐにわかった。 彼に、八年前の想いを伝えるなら、チャンスは今しかないと言いたいのだろう。 無言で宮田さんを見つめると、彼の漆黒の瞳の奥に、切なさが混じっていた。「二階堂さん、私……」 宮田さんに促されるままに紡ぎ始めた言葉は、そこで一旦途切れた。 彼に対してなにを伝えたいのかと、心の中であらためて自問する。 そして、出た答えが……。「八年前に、あなたを街で見ました」 「……え……?」 「モデルの二階堂さんをチャペルで見かけたのがきっかけで、あなたに憧れて私はブライダル業界に就職しました。仕事はそれなりに大変ですがとても楽しいです。そして……二階堂さんに八年ぶりにまた逢えて、懐かしかった
突然のその行動に私の心臓が跳ね上がったのを無視するように、二階堂さんは繋がれた私の両方の手を意味ありげに器用に触る。 彼にとっては、そんなことはなんでもないことなのだろう。 飄々とした表情だ。ただ、色気は漏れているけれど。「えーっと……どうしようかな。さすがにキスまでするとマジで昴樹くんにグーで殴られる気がするしねー」 「え?!」 チラチラと、私の後ろの方角……つまり宮田さんを気にしながら口にした彼のその言葉に驚いて目を丸くした。「抱きついちゃおうか。でも……それじゃ弱いかな。あ、ほっぺにキスがいいか」 本当になにを言ってるんだろうと距離が近い彼の顔を見上げると、ニタっとイタズラな笑みを浮かべている。 いったい……なにを企んでるんですか。「ちょっとだけ我慢してね」 色気を含んだ声色で耳元に唇を寄せてそう囁かれると、一瞬で全身が硬直した。 二階堂さんは間違いなくイケメンだし、しかも私が八年前に一目見ただけで憧れた人だ。緊張するのは当たり前。 自分自身にそう言い訳する暇もなく、右の頬に二階堂さんの唇の感触がした。 そのまましばし、時が止まる。 いきなりなにをするのかと声にも出せずに驚いていると、「作戦成功」と、やっと唇を離した二階堂さんにしたり顔で微笑まれた。「ふたりとも、ちょっと来て」 後ろからそう声がしたと思ったら、宮田さんが私と二階堂さんの繋がれた手を引き離し、私の手首を掴んだまま外の廊下へとずんずん歩いていく。 先ほど二階堂さんが私にした行為をしっかりと見ていたのだ。 だからこんなに彼の顔が険しいのだと、想像がついた。 二階堂さんが宮田さんをこっちに来させればいいと言った意味はこれだったんだ。 だからってなにも怒らせなくても……と思ってしまう。 宮田さんは私の手を強引に引いて、自販機のある小さな休憩スペースに誰もいないことがわかると、そこで歩みを止めた。「岳、さっきのはなに?」 今まで聞いたことのないようなイライラとした彼の声に、一瞬ビクっと肩が跳ねた。 素直に私の後ろに続いて歩いてきた二階堂さんを振り返ると、まだイタズラな笑みを浮かべている。「さっきの? うーん……朝日奈さんの手がさぁ、握ってみるとやわらかくて。サラサラでスベスベの綺麗な肌してるんだよね。だからつい頬につい……」
「そう? 昴樹くんが好きなのは朝日奈さんなのに。そんなの、誰が見たってわかるよ」 「……」 「昴樹くんさ、あのパーティでも必死だったじゃん」 そうか……考えてみたらあのパーティには、二階堂さんもいたんだ。 私の醜態をこの人にも見られてたのかと思うと、途端に恥ずかしくてたまらなくなった。「パーティでは……すみませんでした。恥ずかしいので、できればもうその件は触れないでください」 「あはは。朝日奈さんってかわいいね。昴樹くんが惚れるのもわかる気がする」 私がおどおどしたのがおかしかったのか、二階堂さんは途端に愉快そうに笑った。「あ。俺と今……目が合ったよ」 私同様、二階堂さんも宮田さんと目が合ったらしい。 だけど私はもう、後ろを振り返れない。「大丈夫。呼んでくるから待ってて」 「いえ! 本当に結構ですから!」 私の横をすり抜けて行ってしまいそうな二階堂さんの腕を必死に掴んで、それを引き止める。「どうして?」 二階堂さんは心配そうに私の顔を覗き込むと、ポツリとそう尋ねた。 ――― どうしてって…… あのモデルの女性から、彼を無理やり引き剥がして自分の元へやって来させるのも気が引ける。 私はそれでなにがしたいっていうのか。 私の恋人とイチャつかないで!と、彼女を睨みつけるの? それとも、私だけを見てと彼にすがるように纏わりつく? そんなのどっちも私らしくないし、両方やりたいとは思わない。「私ともさっき目が合ってるんです。でもすぐに気づかないフリをされました」 「へ?」 「私も特に用事があるわけではありませんので、このまま失礼します」 泣きそうな声でなんとかそう訴えてるのに、二階堂さんは再び私の腕を掴んで離そうとしてくれない。「悪いほうに考える気持ちもわかるけどさ。俺は……パーティでの昴樹くんが本物だと思うよ?」 「……ありがとうございます」 私を気遣うやさしい二階堂さんの言葉を耳にすると、余計に泣きそうになる。 だけど、こんなところで泣いちゃいけないと必死に涙をこらえた。「そうだ! 俺が呼びに行くのが嫌なら……昴樹くんのほうからこっちに来させればいい」 「え?」 「賭けてもいいよ。絶対昴樹くんは飛んで来るから」 なにを言ってるのだろうと首をかしげていると、二階堂さんは私の両手を取って身体を
きっと仕事の話をしているんだ。 なにも私がこんなことでヤキモキする必要なんてない。 そうは思うけれど、胸の奥がキリキリと痛み始める。 嫌な予感がして仕方がない。 だって仕事の話ならば、あんな薄暗いところでふたりで話す必要なんてない。 一方で、そう冷静に分析してしまう自分もいるから。 宮田さんがなにか言葉を発したと思ったら、女性の肩に右手を置いて距離を詰めた。 これ以上見てはいけないと思うのに、そこから足が動かない。 そうしてじっと見入るうちに、宮田さんが視線を何気なくこちらに向けて…… 私と、――― 目が合った。 彼はすぐに私に駆け寄って来てくれる。 そう思っていた私は、自惚れていたのだろうか。 彼は再び、なにも見なかったかのように、視線を女性に向けなおした。 その瞬間、私は踵を返してくるりと彼に背を向ける。 今のはなにか幻でも見たのだと、そう思いたかった。 だけど自分の目で確認したのだから、それが疑いようのない現実だし……。 ごちゃごちゃと整理のつかない感情が、私の心をかき乱して爆発寸前だ。 早くここから立ち去ろう。落ち着け! 人の波をよけるように歩いていたつもりだったのに、数メートル歩いたところで、目の前に人が立ちふさがって私の歩みを止めた。「あ、すみません。通してください」 その人の顔も見ずに、俯いたままそう呟く。「あれ……たしか、朝日奈さん……だよね?」 自分の名を呼ばれたことに驚いて顔を上げると、私の目の前に居た人は………二階堂さんだった。「昴樹くんに会うなら方向が逆だよ。あっちあっち」 爽やかな笑顔で私の背中の方角を指さす彼に、私は苦笑いすら返せない。「いえ……いいんです」 「ん? どうして? ……なんでそんな泣きそうな顔なのかな?」 二階堂さんにそう言われ、初めて自分が今泣きそうになってることに気がついた。 私はどうしてこんなことくらいで……。 泣きそうになるなんて、子どもじゃあるまいし。「あー……原因は、アレか」 どうやら二階堂さんも、宮田さんの姿を見つけたらしい。 心底困ったような笑顔を私に向ける。「あのモデルの子、まだ若いね」 若くて美人。このステージ裏のエリアにいるモデルの女性は、そんな容姿端麗な人ばかりだ。 だけどそんなことでさえ、
「彼女、今日もどこかにいるから。気をつけてね」 「はい。お気遣いありがとうございます。でも私、まだ仕事の途中ですのでこれで失礼します」 「え? ショーは見て行ってくれないの?」 「すみません。すごく残念なんですけど」 「でも、彼には会っていくでしょ?」 その問いかけには、「少しだけ」と、照れながらゆっくりと頷いた。「今日は彼には助けてもらって感謝してるよ。モデルのそばでアシスタントをしてもらってるんだ」 「そうなんですか」 「考えてみたら贅沢だよね。彼にアシスタントをやらせるなんて。だって彼……最上梨子だよ?」 そんなことをポロリとこぼす香西さんをよそに、周りに聞いてる人がいないかとドキドキしてしまう。「宮田さんは、香西さんを慕ってて……尊敬しているみたいですから」 「僕も彼は好きだよ。でも、そっちの気は一切ないから安心して?」 思わず例の“ゲイ疑惑”を思い出して、噴出して笑ってしまった。 本当はゲイではなく……兄と弟みたいに仲が良い関係で微笑ましい。「そういえば宮田くん、最近なにかあった?」 「え?」「今日会ったらすごく楽しそうでイキイキしてるし。彼のデザイン画を何枚か見てほしいって頼まれたんだけど……めちゃくちゃパワーアップしてたからさ」 顎をさすりながら、香西さんがうれしそうにそう言う。 だけど、私にその理由を聞かれてもわかるはずもなく、首をかしげて話の続きを待った。「前から彼の才能は認めてるというか、感服するものがあったけど。今日ほど彼の才能を素晴らしいって思ったことはなかった」 「……」 「朝日奈さんが影響してるのかな?」 「え?!」 私はなにもしていない。本当ならもっと、依頼したブライダルドレスの為になにかしてサポートしなければいけないくらいなのに。「今日確信したよ。最上梨子はもっともっとすごいデザイナーになるって」 「……」 「朝日奈さんが彼の傍にいてくれればね」 俺もウカウカしてられない、って香西さんが冗談めかして笑った。 香西さんから「宮田くんはあの辺りにいるはずだから」と教えられた方角へと足を向けた。 人がたくさん居て、ざわざわとしているエリアだ。 本来は仕事をしている人たちの邪魔になるから、あまり立ち入ってはいけない場所だと思う。 キョロキョロと視線を彷徨わせて彼の姿を探